まず、書いてみた——「え、本当にインクが出ない」

発表会で手渡されたのは、1本の黒いペンでした。

まず紙の上を走らせると、ゼブラの大人気ボールペン、サラサ譲りの滑らかなジェルインクの筆記感で、ごく普通の——いや、上質なボールペンとして文字が書ける。

次に、そのまま同じペン先をiPadの画面に当ててみる。すると画面には美しいデジタルの線が描かれ、インクは一滴も画面に残らない。ペン先を見れば、確かにインクをたたえたボールチップがそこにあるのに。

頭では仕組みを聞いて理解しても、手が納得しない。「紙ではインクが出て、iPadではインクが出ない」という相反する性能が、たった1本のペン先の中で同居していました。

この感覚は、これまでのどんなスタイラスでも、どんなボールペンでも味わったことがないものでした。理屈より先に感動を届けるという演出も見事でしたが、それに耐えるだけの「今までになかった発明」であることは、最初の10秒で分かったのです。

筆記具メーカーとして130年の歴史を誇るゼブラが、エレコムと協業して7月31日に発売する「スタイラスツーウェイ」。

筆記具メーカーが作ったスタイラスボールペンである。しかしこれまでのペン先を出すとボールペン、しまうとスタイラス、というありきたりのモノとは全く違う。

ペン先を出したまま、ペアリングも持ち替えも不要で、シームレスに紙とiPadを行き来できるようにしていました。

魔法、ですね。

アナログとデジタルの境界線そのものを溶かす、日本発の小さな、しかし本物のイノベーションだ!と感動しきりでした。

ガジェット学の視点 ——「文具」と「ガジェット」の境界で

ガジェット学の観点から見ると、この製品はきわめて興味深い位置にいます。

全長160mm、軸径9.5mm、重量16g。

ノック式で、クリップを押し込むと電源が入る。USB-Cで30分の充電、連続使用は約7時間。LEDインジケーターが残量を知らせ、10分間の無操作で振動検知によりオートスリープしてくれます。

スペックだけを並べれば、これは紛れもなく電子ガジェットです。しかし手に取った印象は、あくまで「よくできたボールペン」なのです。

スタイラスとしては珍しいノック式の採用は、筆記具メーカーの身体感覚から来ていました。長めの軸で天面ノックにすると持ち替えが必要になるから、横のクリップをノック機構にする。Bluetoothをあえて搭載しなかったのも、「どのiPadでも、誰のiPadでも、ノックすればすぐ書ける」というシームレスさを優先した設計判断でしょう。

ショートカットボタンの搭載も検討されたが、「スタイラスに寄りすぎる」として見送られたという、文具というアイデンティティへの徹底ぶり。

ここに、アナログ筆記具100年の思想とデジタルガジェットの機能が衝突し、調停されている、と見ることができます。

開発体制もそれを映していました。電子基板を扱えないゼブラは、IT周辺機器メーカーのエレコムをパートナーに選びました。

その上で、ゼブラがペン先・インク・筆記体験を、エレコムが筐体設計・回路設計・試作機評価を担い、文具メーカー単独でもガジェットメーカー単独でも生まれ得なかった製品が、両者の協業から生まれました。

ガジェットとは技術の器であると同時に、身体との接点の設計である——この製品はその教科書的な実例と言えます。

非公開のラボが公開された日 —— 魔法の生まれた場所を訪ねる

今回の取材でもう一つ特筆すべきは、ゼブラが普段は非公開のインク研究施設を報道陣に公開したことでした。撮影は不可でした。

ここは、マーカーからゲルインクまで、ゼブラのすべてのインク研究が始まる場所。完成した配合は国内外の工場に展開されるが、レシピを生み出す研究室は世界でここだけです。

数十人の研究員が、数百種類の材料の中から成分を選び、色材に「書き心地向上」「防腐」「防錆」といった成分を微量ずつ加えて、1つのインクを組み上げていくのです。

黒インクひとつとっても、複数の色を混ぜて調合されており、メーカーごとに「青みがかった黒」「赤みがかった黒」とレシピが異なる。試作は数十〜数百グラムの小ロットから始まり、マグネティックスターラーで数時間から時に2日間撹拌し、粘度・pH・表面張力を測定して目標値と照合する。

自動筆記試験機は、インクを最後の一滴まで書き切れるか、かすれはないか、ボール先端は摩耗しないかを延々と検証し続ける。マイナス10度から60度までの過酷試験も行われる。

この地道な場所こそが、「タブレットではインクが出ず、紙ではインクが出る」という魔法が生み出された現場でした。

魔法の種は派手な新技術ではありませんでした。紙は繊維が絡

み合って摩擦が大きいためボールが回転しインクが出る。iPadやガラスフィルムの表面はつるつるで摩擦が低いためボールが回転せず、インクが出ない。

ただそれだけの物理現象を、狙った通りに制御しきるために、ペン先とインクの組み合わせを社内全パターン70以上試験し、インクの試作を400回以上重ねた結果、1本のスタイラスペンに行き着いたのです。

潤滑性が高すぎればつるつる面でもインクが出てしまい、落としすぎれば紙の上でガサガサになってしまいます。その紙一重のバランスは、インクを一世紀近く作り続けてきた研究室でなければ到達できなかったのでしょう。

失敗からのイノベーション ——「ツル抜け現象」という欠点の反転

この製品の物語の核心は、「失敗からのイノベーション」にありました。

開発の原点となったのは、社内で「ツル抜け現象」と呼ばれる現象です。つるつるした面ではボールが回らず、インクが出にくくなる。ボールペンメーカーにとってこれは長年、ひたすら対策すべき「欠点」であり、品質改善の対象でしかなかったそうです。

そもそもこのプロジェクトの開発テーマは「筆記具メーカーとしてiPadに最高の筆感を提供できないか」という問いだでした。

当初の仮説は「ガラス面の上でも、ボールが回転するから書き心地が良い」というもの。

ところが顕微鏡で観察してみると、つるつるした画面の上でボールは回転していなかった!良い書き味の正体は回転ではなく「滑り」だった!

——仮説は崩れ、開発は約1年間、別の方向をさまようことになるのです。

ブレークスルーは、この失敗の再解釈から生まれています。

「つるつる面ではインクが出ない」という欠点は、視点を変えれば「画面を汚さないインクペン」という前例のない価値になるのではないか。

欠点を潰すのではなく、欠点を機能に反転させる。

この発想の転換から、「ボールチップにインクをそのまま搭載し、紙にはインクで、画面にはパッシブスタイラスとして書く」という現在のアーキテクチャが生まれました。

開発期間は約5年。コロナ禍で「紙からデジタルへの移行が加速する」という危機感が背中を押し、GIGAスクール構想のタイミングとも重なり、今日の発表という日を迎えたのです。

イノベーション論の言葉で言えば、これは典型的な「探索の副産物」であり、失敗データの資産化といえるでしょう。

400回を超えるインク試作も、70通りのペン先との組み合わせ試験も、その多くは「うまくいかなかった記録」でしかありません。

しかし失敗を観察し、常識(水性インクには水性チップ、という先入観)を外して全パターンを試したからこそ、欠点は魔法に変わった瞬間を迎えます。

ちょうどポスト・イットが「強すぎない接着剤」という失敗から生まれたように、スタイラス2WAYは「インクが出ないボールペン」という失敗から生まれたのです。

この製品の可能性 —— 日本の発明は海を渡れるか

用途の広がりは具体的です。

講義でiPadにノートを取りながら、配布された紙の資料にも書き込む学生。電子カルテはiPadに、点滴や注射のメモは紙に、と使い分ける看護師。タブレットを肩から提げて機内を回るCA。

ビジネスでも学習でも、iPadと紙を併用しているすべての人に「1本にまとまる」価値があります。タブレット利用者の6割以上がiPadユーザーというデータもあり、市場は十分に厚い。

価格は本体15,000円、替えインク(中芯)は2本1,500円で、基板を分解せずに交換できる機構を備えた手軽さもありました。

そして、これは紛れもなく日本の発明です。

インクの配合技術、ペン先の精密加工、そして「欠点を価値に変える」執念。

例えば、米国に展開しているITOYAなどを通じた海外チャンネルでの販売テストや、日本への観光客へのアピールを通じたお土産需要も期待できるはず。

手に取って書けば10秒で価値が分かる製品は、国境を越えるのに説明書を必要としないでしょう。

弱点と、Appleタッチパネルの謎

ただし、完璧な製品、というわけではありません。最大の弱点は対応機種の問題です。

対応はiPad、iPad mini、iPad Pro 11インチ。iPad AirとPro 13インチモデルは非対応となっています。ボリュームゾーンのiPad Airに対応していない点は、販売にも影響が出るでしょう。

iPad Airでは「書けなくはないが品質基準を満たさない」状態だといい、さらに同じiPad 11インチの中でも個体差がある可能性があり、原因は究明中だという。

パッシブ方式ゆえに筆圧検知はなく、Apple Pencil接続中のiPadでは使えない。防水非対応で、ペーパーフィルムのような凹凸のあるフィルムではインクが出てしまうため、ツルツルのガラスフィルム推奨、筆記角度は60〜80度が目安となる。

このあたりは、初期の製品の「仕様」としても、それでも十分に戦える製品だ、と思います。

興味深いのは、この弱点が浮かび上がらせる「Appleのタッチパネルテクノロジーの謎」ですね。

同じiPadファミリーでありながら、モデルによって、さらには個体によって、静電容量式タッチパネルの感度特性が異なるのです。

Appleは仕様を公開しないため、サードパーティは実機検証で挙動を推し量るしかないのです。パッシブスタイラスという「デバイスに依存する製品」の宿命であり、Apple Storeへの掲載判断が慎重にならざるを得ない理由でもあります。

将来iPhone——特に折りたたみモデル——への対応が期待されるが、それはペン側だけでなく、デバイス側のセンサー特性という、作り手にはコントロールできない変数にかかっています。

「欠点は、次の魔法の種である」

非公開だったラボの扉が開き、そこにあったのは魔法ではなく、400回の試作と、失敗を捨てずに観察し続けた研究者の目でした。

「ツル抜け現象」という長年の敵を逆手に取り、最大の武器に変えた「スタイラス2WAY」は、日本のものづくりがいまなお世界を驚かせられることの証明といえます。

そしてiPad Air非対応という現在の弱点もまた、いつか誰かが反転させる、次のイノベーションの種なのかもしれないのです。

公式のLPはこちらから。7月31日発売です。
http://www.zebra.co.jp/sp/stylus2way