竹芝に、突如として「スナックななこ」がオープンしていました。
先月来たときには、たぶんこんなスペースはなかったはずです。東京ポートシティ竹芝の8階、CiPの一角に、DIYでこしらえられたような、妙に人の気配がある場所ができていました。
そこに立つのは、石戸奈々子さん。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の教授で、KMD研究所の所長としてもご活躍です。そんな石戸さんが、文字通り「ママ」を務めるスナックです。
といっても、盛大な告知があったわけではありません。Facebookでなんとなく流れてきて、なんとなく人が集まる。来る人も、肩書きで整列しているわけではなく、「あ、いますね」「久しぶりです」「それ、面白そうですね」と、ゆるく会話が始まっていく。
これは、イベントというよりも、関係性そのものが立ち上がる場所でした。
関係人口は、名簿ではなく「動いている関係」である
最近、地域づくりやプロジェクト運営、大学、企業のオープンイノベーションの場で、「関係人口」という言葉がよく使われます。
ある地域に住んでいるわけではないけれど、継続的に関わる人。ある組織の社員ではないけれど、応援したり、手伝ったり、時々顔を出したりする人。プロジェクトの中核メンバーではないけれど、必要なときに知恵や人をつないでくれる人。
こうした人たちは、従来の「所属」では捉えにくい存在です。だからこそ、関係人口を可視化しよう、ネットワークを見えるようにしよう、という発想が出てきます。
ただし、ここで重要なのは、関係性は「可視化した瞬間に完成するもの」ではない、ということです。
名簿を作る。Slackに招待する。Facebookグループを作る。相関図を描く。これらはもちろん大事です。しかし、それだけでは関係性は育ちません。むしろ、リスト化されたまま放置された関係性は、すぐに静止画になってしまいます。
関係性が関係性であり続けるためには、その上を情報が流れなければなりません。
ネットワークの価値は、線の上を何が流れるかで決まる
ネットワークという言葉を使うとき、私たちはつい「誰と誰がつながっているか」に目を向けます。点と線の図を思い浮かべるわけです。
でも、実際のネットワークの価値は、線が引かれていること自体にはありません。その線の上を、何が、どのくらいの頻度で、どのような温度で流れているかにあります。
情報が流れる。相談が流れる。小さな依頼が流れる。冗談が流れる。近況が流れる。まだ言葉になっていない違和感が流れる。
こうしたものが流れているネットワークは、生きています。逆に、名刺交換だけで終わった関係や、グループに入っただけの関係は、線は見えていても、実質的には止まっています。
社会学では「弱い紐帯」という考え方があります。家族や職場のような強い関係だけでなく、たまに会う人、少しだけ知っている人、別の世界に属している人との弱いつながりが、新しい情報や機会を運んでくる、という見方です。
スナックななこで起きていたのは、まさにこの「弱い紐帯」が、ほどよく温め直されるプロセスでした。
がっちりした会議ではない。名刺交換会でもない。ピッチイベントでもない。だけど、そこにいる人同士が、「この人はあの話につながるかもしれない」「この話は別の誰かに聞かせたい」と感じ始める。
その瞬間、関係人口は単なる人数ではなく、動き出すネットワークになります。
スナックは、関係性のユーザーインターフェースである

面白いのは、「スナック」という形式です。
スナックには、議題がありません。厳密な参加資格もありません。全員が同じ目的で集まっているわけでもありません。むしろ、その曖昧さこそが重要です。
企業の会議室では、人は役割で話します。大学の研究会では、専門性で話します。イベント会場では、登壇者と聴衆という構造が生まれます。
しかしスナックでは、人は少しだけ役割から解放されます。先生でも、経営者でも、学生でも、研究者でも、クリエイターでも、まずは同じ空間に座っている人になる。そこから会話が始まる。
もちろん、完全にフラットになるわけではありません。むしろ、誰が場を開いているかがとても大事です。スナックにはママがいます。場の温度を見て、会話をつなぎ、初対面の人同士をゆるく混ぜる人がいる。
この「媒介者」の存在が、ネットワークをただの人だまりにしないのです。
スナックななこは、関係人口を可視化する場であると同時に、関係人口を編集する場でもあります。誰が来ているかが見える。誰と誰が話しているかが見える。そして、次に何が起きそうかが、少しだけ見える。
これは、かなり高度なインターフェースです。
場がメディアになる条件
ここで考えたいのは、場そのものがメディアになっている、ということです。
メディアというと、記事、動画、SNS、ニュースレターのような発信物を思い浮かべます。しかし本来、メディアとは情報を媒介するものです。だとすれば、人が集まり、情報が流れ、関係が更新される場もまた、メディアです。
ただし、すべての場がメディアになるわけではありません。
単に人が集まるだけでは、場は消費されて終わります。単に飲むだけなら、楽しかったね、で終わる。単に名刺交換するだけなら、翌日には忘れてしまう。
場がメディアになるためには、そこに流れた情報が、次の行動につながる必要があります。
「あの人に連絡してみよう」
「この話、次の研究会で扱えそうだ」
「あのプロジェクトに声をかけてみよう」
「これ、記事にした方がいい」
「来月また集まったら、少し前に進みそうだ」
こうした小さな次の一手が生まれるとき、場は記憶されます。そして、関係性はメンテナンスされます。
関係人口を増やすことの本質は、人数を増やすことではありません。次に声をかけられる人が増えることです。次に一緒に考えられる人が増えることです。次に何かを始めるとき、最初の一歩が軽くなることです。
可視化の先にある「循環」
スナックななこが面白いのは、関係性を無理に整理しすぎていないところです。
プロジェクトに落とし込む。KPIを設定する。参加者リストを作る。もちろん、そうした作業は後から必要になります。大学や企業、地域との連携を進めるなら、制度化や予算化も避けられません。
でも、関係性の最初の段階で、あまりに早く整理しすぎると、場の生命力が失われることがあります。
まだ名前のない会話。まだ目的が決まっていない相談。まだ誰の仕事にもなっていない違和感。そういうものが漂っている時間にこそ、新しいプロジェクトの芽があります。
可視化とは、本来、それを管理するためだけのものではありません。次の会話を生み出すためのものです。
誰がいるのかが見える。何に関心があるのかが見える。どこに接点があるのかが見える。すると、その上に情報が流れ始める。情報が流れると、関係が更新される。関係が更新されると、また人が集まる。
この循環が生まれると、関係人口は「名簿上の人数」から「動けるネットワーク」に変わっていきます。
竹芝にできた、小さな実験場
東京ポートシティ竹芝の8階には、iUとKMDが入っています。教育、研究、メディア、テクノロジー、産業連携、都市の未来を考える人たちが出入りする場所です。
その一角に、急にスナックができる。
この出来事は、単に「面白いスペースができた」という話ではありません。むしろ、大学や研究機関、企業、地域、メディアが、これからどのように関係性を育てていくのかを示す、小さな実験だと思いました。
オンラインでつながることは、もう珍しくありません。グループを作ることも、告知を流すことも、イベントページを立てることも簡単です。
難しいのは、その関係性を冷やさないことです。
人と人のあいだに、情報が流れ続けること。たまに顔を合わせて、近況が更新されること。何かが起きそうな気配を、誰かが拾い上げること。そうした小さなメンテナンスの積み重ねが、結果として大きなプロジェクトや社会実装につながっていきます。
スナックななこは、そのための装置でした。
大げさに言えば、関係人口の可視化装置。もう少しくだけて言えば、「なんとなく来た人たちが、次の何かを持ち帰ってしまう場所」です。
酔いが回ってくると、話の輪郭は少しぼやけます。でも、不思議なことに、人の輪郭は少しはっきりします。
この人と、また何かできそうだ。
そう思える場所があることは、これからの研究にも、教育にも、地域にも、メディアにも、たぶんかなり大事です。竹芝に突然できた小さなスナックは、そのことを、ずいぶん軽やかに見せてくれました。