Mac Fanに掲載された、「Rokidスマートグラス体験・座談会」の記事。個人的に、もう少しだけ、スマートグラスへのロマンと、Rokid スマートAIグラスで見えた現実的な可能性を整理してみました。
Mac Fanの体験会レポートはこちらから。

iU大学のマツムラゼミのメンバー2人と、RokidスマートAIグラスを体験し、大学生活や学びの場でどのように使えるかを話す、なかなか面白い内容でした。
Z世代、そして大学教員の視点から、メガネ型AIデバイスの可能性を考える記事に仕上がっています。
自分自身がスマートグラスという領域に感じているロマンと、いまの発展途上感、そしてRokid スマートAIグラスが現時点で実現できていることを、少し整理しておきたいと思います。
スマートグラスのロマンは、「スマホの次」ではなく「視界の再設計」にある

スマートグラスの話をすると、どうしても「スマートフォンの次のデバイスなのか」という問いになりがちです。
もちろん、その見方もある。スマートフォンへの依存度を下げるという意味では、明らかにスマホから時間を奪うデバイスになり得る、と思っています。
しかしスマートフォンがポケットの中のコンピュータとして高度に発展しているように、スマートグラスが顔に装着するコンピュータになるか?と言われると、ちょっと夢を見過ぎな部分もある、とみています。
ただ、私がスマートグラスに感じているロマンは、単にスマホの画面が目の前に移動することだけではありません。むしろ重要なのは、人間の視線、耳、声、手の動きと、コンピュータの距離が縮まることです。
スマホは、便利な道具です。しかし使うには、取り出す、ロックを解除する、アプリを探す、画面を見る、操作する、という一連の動作が必要です。これが日常の中で積み重なると、意外と大きな断絶になります。
- 道を調べるためにスマホを見る。
- 外国語を翻訳するためにスマホを見る。
- メモを取るためにスマホを見る。
- 写真を撮るためにスマホを構える。
スマホは世界を便利にしましたが、同時に、僕たちの視線をかなりの時間、手元の画面に引き寄せてきました。
スマートグラスの面白さは、この構図を反転できるかもしれないところにあります。前を向いたまま、必要な情報だけが視界に現れる。相手を見ながら、翻訳を読む。街を見ながら、道案内を受ける。手を動かしながら、目線の先を記録する。
この「前を向いたままコンピュータを使う」感覚に、スマートグラスというカテゴリの本質があると思っています。
まだ発展途上だからこそ、見ておく価値がある

とはいえ、スマートグラスはまだ完成されたジャンルではありません。
ここは冷静に見ておく必要があります。バッテリー、重量、表示品質、音声操作の気恥ずかしさ、周囲からどう見られるか、カメラ付きデバイスへの社会的な受け止め。どれも、普及に向けて避けて通れないテーマです。
特に日本では、カメラ付きのメガネを公共空間で使うことに対する心理的なハードルは高いと感じます。
Mac Fanの記事中でも、私は「カメラの存在は便利な一方、日本の公共空間においては使用のハードルになる」と話しました。
これは製品の性能だけでは解けない問題です。技術、デザイン、表示、音、LEDなどによる通知、そして利用者側のマナーがセットで成熟していく必要があります。
そして何より、スマートグラスが社会性を帯びること。「カメラが常に向けられていて気持ち悪い」という社会性のなさを、いかに乗り越えるか、という重大な問題があります。
ただ、発展途上であることは、必ずしもネガティブなことではありません。
むしろ、スマートグラスは今まさに「何が本当に必要な機能なのか」を探っている段階です。ゴーグル型の没入体験がよいのか。メガネ型の軽い情報提示がよいのか。常時表示がよいのか。必要なときだけ表示されるほうがよいのか。音声操作を中心にするのか、タッチ操作やジェスチャーを組み合わせるのか。
この領域は、まだ答えが固まっていません。だからこそ、面白いのです。
あるべきスマートグラスは、情報を出しすぎない
私が考える、将来のスマートグラスのあるべき姿は、意外と控えめなものです。
視界いっぱいに情報が出る必要はありません。むしろ、出すぎてはいけない。メガネは、私たちが世界を見るための道具です。そのメガネが、世界を見ることを邪魔してしまっては本末転倒です。
必要なときに、必要な情報だけが、必要な場所に出る。
いらないときには、普通のメガネとして存在を消してくれる。
カメラやマイクがあるなら、それが周囲にもわかる。
自分のための便利さが、他者の不安につながらない。
このバランスが、とても重要です。
スマートグラスが普及するかどうかは、スペック競争だけでは決まりません。むしろ、生活の中で「かけていてもいい」と思えるかどうかにかかっています。デザイン、軽さ、かけ心地、視力矯正への対応、周囲への配慮。これらは一見すると地味ですが、ウェアラブルデバイスでは最も重要な部分です。
その意味で、スマートグラスはコンピュータである前に、まずメガネでなければならないのだと思います。
Rokid スマートAIグラスが実現していること

今回試したRokid AIスマートグラスでまず印象的だったのは、見た目がかなり普通のメガネに近いことでした。
重量は約49gで、Rokid側も軽さと日常的な装着感を強く打ち出しています。Mac Fanの記事でも、学生たちの最初の反応は、その自然さや軽さへの驚きでした。
機能面では、翻訳、AIアシスタント、ナビゲーション、テレプロンプター、撮影、録音、文字起こしなどが用意されています。Rokid公式ページでは、翻訳、撮影、検索、文字起こし、ナビが「視界の中」で完結するとうたわれており、Makuakeのプロジェクトページでも、通訳、撮影、検索、ナビ、議事録作成を主要な体験として掲げています。
特にわかりやすいのは翻訳です。相手の発話が視界に字幕として出る。スマホの翻訳アプリでも近いことはできますが、スマホを見る必要があるか、相手を見たまま理解できるかでは、体験の質がかなり違います。大学のように多言語環境が日常化している場所では、この違いは小さくありません。Mac Fanの記事でも、留学生や外国語でのコミュニケーション、授業理解、ディスカッションの質といった文脈で、この機能の可能性が語られています。 
もうひとつ面白いのは、テレプロンプターです。
大学では、学生がプレゼンテーションをする機会が意外と多くあります。社会に出ても同じです。資料を見ながら話す。スマホをカンペ代わりにする。手元のメモを見てしまう。そうすると、どうしても聴き手との視線が切れます。
もし原稿やキーワードが視界に自然に出てくるなら、話し手は前を向いたまま話せます。これは単なる便利機能ではなく、プレゼンテーションの所作そのものを変える可能性があります。Mac Fanの記事でも、学生がこの機能に関心を示し、プレゼン時の実用性について話していました。
自分だったら、音楽ライブのコードを出したい。
「未来っぽい」よりも、「生活に入ってくる」ことが重要

Rokid AIスマートグラスを見ていて面白いのは、派手な未来感だけで勝負しているわけではないところです。
むしろ、翻訳、ナビ、プレゼン、記録、議事録といった、すでに私たちがスマホやPCで行っていることを、少しだけ自然な形に移している。ここに現実味があります。
スマートグラスは、いきなりスマホを置き換える必要はありません。最初は、スマホを見る回数を減らすだけでもいい。外国語の会話で、少し理解が追いつく。道に迷ったとき、スマホを取り出す回数が減る。プレゼンで、聴き手の顔を見られる。フィールドワークで、記録の手間が減る。
その小さな改善の積み重ねが、やがて新しいインターフェースとして定着していくのだと思います。
未来のデバイスは、いつも大げさな姿でやってくるわけではありません。ある日、少し普通の顔をして現れます。そして、使っているうちに「あれ、これで十分便利じゃないか」と気づく。
スマートグラスの未来も、案外そういう形で始まるのかもしれません。
下でも上でもなく、前を向いて歩こう。
こんなタグラインが良いのではないでしょうか。


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