今年の桜は、少しだけ出し惜しみだった

Journal
Journal

今年の東京の桜には、どうにも不完全燃焼な気分が残りました。

日本において、桜は毎年、咲くだけでニュースになります。開花予想が話題になり、満開予想が更新され、週末の天気とにらめっこしながら、人は妙にそわそわし始めます。ほかの花がここまで「咲く前」から期待されることは、そう多くありません。桜は、開花そのものだけでなく、期待まで含めて春のイベントになっているのだと思います。

春の象徴ですね。

だからこそ、今年は少し困りました。咲き始めたあとに寒さが戻ってきたのです。春が来たのかと思って薄い上着を引っ張り出したところで、また冬が「いや、まだ私の時間です」と言わんばかりに割り込んできました。しかも、雪が降るほどの寒さではなく、ちょっとヒヤッとするな、程度の。

こちらとしては、もう気持ちは春に移っているのに、気温だけが盛り上がらない。季節の引き継ぎが、ずいぶんぎこちなかった印象です。

そのせいか、今年の桜はなかなか蕾が開ききりませんでした。

咲いてはいる。たしかに咲いてはいるのですが、例年のような、あの一気に景色を塗り替える感じが弱いのです。満開かなーと思っても、まだ蕾がある状態。街路樹を見上げても、「おお、満開だ」と息をのむより、「ああ、ここまで来ているのに、もうひと息か」という観察モードが先に立ちました。

だから、素直な感想という右脳的な感覚よりも、左脳的な感覚が勝ってしまった。

桜の魅力は、もちろん一輪一輪の可憐さにもありますが、実際にはあの物量にもかなり支えられていると思います。枝先まで花がつき、遠目には雲のように見える、あのふわふわした感じ。あるいは、近くで見ると花が幾重にも重なって、少し大げさなくらいモコモコして見える、あの豊かなボリューム感。桜は繊細な花でありながら、満開のときには妙に景気がいいのです。

上品なのに、気前がいい。そこがいい。

ところが今年は、その気前のよさに、少しブレーキがかかっていた気がします。満開のはずなのに、こちらが期待していた「わっ」となる迫力が来ない。桜が手を抜いているわけではないのでしょう。ただ、寒さのせいで慎重になっていたのかもしれません。

まるで大事な宴会の会場に全員集まっているのに、乾杯のタイミングだけがなかなか来ない、あの感じです。

考えてみれば、桜に対して私たちはずいぶん勝手です。

咲けば咲いたで騒ぎ、散れば散ったで名残を惜しみ、そのうえ今年は「ボリューム感が足りない」などと注文までつけている。花の側からすれば、かなり面倒な客だと思います。それでも桜は毎年、律儀に春の象徴を引き受けてくれます。だからこちらもつい、理想の桜を求めてしまうのでしょう。

今年の桜は、満開の美しさというより、開ききらない時間の長さが印象に残りました。春は普通、勢いのある季節です。寒さを押しのけて、芽吹いて、明るくなって、景色がどんどん先へ進んでいく。けれど今年は、進みそうで進まない。春そのものが、少し様子を見ながら歩いているようでした。結果として、桜もまた、例年より慎重に見えたのかもしれません。

しかし、その不完全燃焼感も含めて、今年の春らしさだったのだとも思います。毎年きれいに満点を取るような桜ばかりでは、こちらの記憶にも案外残らないのかもしれません。少し寒く、少し惜しく、もう少し見たかったと思わせる桜。満開なのに、どこか満腹にはならない桜。そういう年があることで、私たちは改めて、あのふわふわ・モコモコした盛大な桜のありがたみを知るのだと思います。

今年の桜は、華やかというより、ためらいがちでした。全力疾走ではなく、小走り。満面の笑みというより、少し控えめな会釈。けれど、そういう春もまた悪くありません。期待したほどではなかった、という感想は、裏を返せば、それだけ桜に期待していたということでもあります。

来年はぜひ、空を押し広げるような桜を見たいものです。枝いっぱいに花がつき、街全体が急に明るくなったように見える、あの圧倒的な春を。今年はその予告編だった、ということにしておきます。

次の春に期待です。

Sponsor Link

本サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

@taromatsumuraをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました